高岡市議会 2021-12-03 令和3年12月定例会(第3日目) 本文
また、美術館、博物館では資料展示や映像上映会が実施されており、そうした取組を通じて高峰譲吉博士のほか、藤井能三、林忠正などといった高岡市ゆかりの偉人たちの人柄や功績について、見て、聞いて、学ぶことができる機会を市民に広く提供してきたところでございます。
また、美術館、博物館では資料展示や映像上映会が実施されており、そうした取組を通じて高峰譲吉博士のほか、藤井能三、林忠正などといった高岡市ゆかりの偉人たちの人柄や功績について、見て、聞いて、学ぶことができる機会を市民に広く提供してきたところでございます。
かつて、高岡出身の美術商・林忠正は、明治の開国期に日本の美術工芸品のパリ万博への出品や海外輸出などを活発に進め、ヨーロッパでジャポニスムの一大ブームを巻き起こしました。以来100年以上の時を経て、現代のグローバル化の中、今再び日本文化が注目されております。
この技と心を不断の努力で承継しつつ、時代時代の節目で、林忠正や高峰譲吉先生方といった数々の先人達が、アルミや化学など新たな産業の礎を築きながら、高岡の産業は常に前に向かって発展し、今日に至ってきたと思っております。 これから高岡は、北陸新幹線や高速道路あるいは港湾など、産業を支える社会資本整備が進展し、新たな発展のチャンスが訪れようといたしております。
林忠正のマネジメント手法や高岡クラフトコンペの次世代ビジョンの研究、あるいは地場産業センターと共同で実施した文化財修理事業や、あるいは生活工芸の復興を図ることを目的とした金屋町楽市、高岡銅器を対象とした伝承方法の研究、市内の企業と共同で行う人材育成事業など、多分野にわたり連携事業を今推進しているところであります。
こうした連携をさらに発展させるため、平成19年11月に芸術文化学部と高岡市との包括的な協定を締結し、20年度からは新たに林忠正のマネジメント手法、あるいは高岡クラフトコンペの次世代ビジョン、文化財修理と人材育成などの研究を行ってきておるわけであります。
特に、菊花文飾壺は、高岡出身でパリで活躍をされました林忠正さんが、明治時代前期におきまして日本の金工の名手として知られておりました2代横山弥左衛門孝純に制作を依頼しまして、明治22年のパリ万国博覧会に出品された、そういう貴重な作品であると、このように思っております。
小学校版では、坪井信良、室崎琴月、金森宗七、堀田くに、服部嘉十郎、また中学校版では、高峰譲吉、荒井三郎、島田孝之、藤井能三、林 忠正を取り上げておるのでございます。 これらの方々は、理想の実現に向かって、あるいは人間として精いっぱい生きたすばらしい人物であります。
そして、明治時代の画商 林 忠正氏ゆかりの家でもあり、このことは木々康子さんの著書「蒼龍の系譜」でも紹介されています。 現在、佐渡家の人は住んでおらず、薬品会社の倉庫として使われていますが、明治時代の建築様式を伝える貴重な存在だと思われます。